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かすみなの「なぜ」リスト

日々の生活の中で「なぜ」と思うことをどんどんリストアップします。

【鉄道>首都圏】人身事故

どうしてこんなにあちこちで人身事故が頻繁に起きるのだろうか。

最も根本的な原因は、高速で通過する物体(電車)と低速で移動する物体(人間)が、間近で接触できる関係にあるということ。すなわちホームや踏切には、電車と人間を完全に分離する仕組み(ホームドア等)が備わっていないからである。

それをみんなはるか昔からわかっていながら、今だに全く着手する気配すらない駅がどれだけあることか。金銭面やホームの強度など、いろいろ勝手な理由を付けてどんどん先延ばしにしていくうちに、いったい何人の人が命を落としたり傷つくのだろうか。

どれだけの理由があろうとも、事故が起こりうる状況を放置している限り、もはや鉄道各社は第三者では到底ない、れっきとした加害者であるという自覚をもっと強く持つべきだと思う。

【鉄道>JR>首都圏】東西の速達列車

上野東京ライン湘南新宿ラインのおかげで南北の移動は楽になったけど、それにより浮き彫りになったのが東西の移動の悪さ。
JRは特急や臨時列車しか直通の優等列車はなく、快速は東西ともあるけど接続していない。(東京駅は接続とは言えない)
日常的に直通快速を運転するのは難しいのだろうか。

地下鉄も東西線は東側の地上区間しか快速運転しないので恩恵は薄いし、都営新宿線は急行が途中の笹塚で打ち切りなので、笹塚で乗り換えを強いられることに。
そもそも起点と終点が限定されている私鉄なので、JRほど融通が利かない。

南北は都心(皇居)を避けて山手線沿いを走り、東西は中央線がその名の如く真ん中を貫いているが、錦糸町御茶ノ水間は各駅停車しか走っていない。
総武線快速は中央線ではなく地下経由で南向きの横須賀線へ乗り入れることになり、中央線快速は行き場がなく東京駅で打ち切り。
中央線は京葉線と東京駅の地下で相互乗り入れなんて話もあるらしいけど、実現するかどうかわからない。
しかし総武線と横須賀線は地下で相互乗り入れが実現したのだから、全く不可能な話でもないのだろう。
既存の路線を利用できない理由は不明だが、どんな形でもいいから東西快速を実現して欲しい。

【鉄道>JR>首都圏】路線名(通称)の付け方

昨今、上野~東京間の中距離列車用線路が何十年ぶりかに復活したが、その際に付けられた名前がなんと、

上野東京ライン

少しも考えられた形跡のない、取って付けたような短絡的な名前が、後世に残る代名詞になるのかと思うと、あまりに恥ずかしく残念でならない。

同様に、もっと以前から運用されている、新宿を経由する中距離列車の名称も、

湘南新宿ライン

思わず目を覆いたくなるような、安易すぎる稚拙な命名ではないだろうか。新宿と結ばれたのは別に湘南だけじゃない。宇都宮線高崎線だって乗り入れているのに、なぜ「湘南」の文字だけ路線名に取り上げられたのか。「高崎新宿ライン」や「宇都宮新宿ライン」ではなぜいけなかったのか。

そもそもなぜ今になって「〇〇線」という従来の日本語表現ではなく「ライン」というカタカナ(半英語)表現が使われるようになったのか。

他にも上げたらキリがないほどあるが、低レベルな現場スタッフによる思い付きとしか思えないような命名が、いとも簡単にまかり通ってしまっている現状は、何とかならないものだろうか。

【鉄道>JR>新幹線】通過してもよさそうな駅

「のぞみ」はなぜ全列車が名古屋に停車するのか。

Webで調べてみると、JR東海の本社が名古屋にあるからという見方が多いらしいが、もしそうだとしたらどう見てもただのエゴでしかなく、納得できる理由ではない。

東海道新幹線のスピードアップはもはや限界と言われているが、停車する駅を削減したいわゆる「スーパーのぞみ」のような速達列車が運行できれば、事情は全然違ってくる。

京都にしても同じで、誰もが京都で乗り降りしているかといえば、素通りしている人の方が圧倒的に多いのだから、利便性よりスピードアップを優先するなら、1日に数本程度でも通過する列車があったら、誰も文句は言わないどころかむしろ歓迎されることだろう。

いくら列車が停車しても乗り降りがなければ、結局その駅は何も得しないのだから、先を急ぐ人たちのために潔く道を譲るべきではないだろうか。

離れていく好きな人

今年に入って立て続けに、私の好きな人が何人も離れて行った。
それまでも大して近かったわけじゃなかったのが、それぞれが人生の節目を迎えたことで、私との距離は絶望的にまで広がり、ほぼ消失状態となった。

私がただ一方的に気に入って、近くなった気分を楽しんでいただけなのだから、いずれこうなることもわかっていたはず。
でも実際にそうなってみると本当に寂しいし、悔しい。
全く気持ちの入っていない私の「おめでとう」や「がんばって」といった言葉を相手に向けて絞り出す度に、とてつもない空しさに襲われる。

なぜ人はみんな、私の意識から離れて行ってしまうのだろう。
誰か一人くらいは、残ってくれてもいいじゃないか。

誰かと関わることがこんなに難しいなんて、10年前はこれっぽっちも思わなかった。
今の私には、もう新たな関わりを期待するほどの気力は残っていない。
これからもずっと物言わぬ題材を相手に、ひたすら自己満足の世界で生きていくしかないのか。

プロローグ

「かすみなの」シリーズもこれで3回目になる。

今度は消さなくても済むように、末永く続けて行けるといいな。

せっかくわざわざ復活させたんだから、書きたいことを遠慮なくどんどん書いてしまおう。